高砂神社の境内にある銅像の人物について調べてみました!
この記事を書いている人 - WRITER -
高砂生まれの高砂育ち。猫好きのAB型男子。
お祭りやイベントが大好物です。
高砂の地元ネタをゆる~く発信していきます!
高砂神社の境内に立っている、こちらの銅像の人物を皆さんご存知でしょうか?
この人物の名は…
工楽松右衛門といいます。
工楽松右衛門とその功績
工楽松右衛門(くらくまつえもん)は、高砂が生んだ江戸時代における発明家、実業家です。
松右衛門は、1743年、高砂市高砂町東宮町の漁師の長男として生まれました。
幼少の頃から家業である漁業に従事、この頃から創意工夫が得意であったと伝えらています。
15歳の頃に、兵庫(現在の神戸市兵庫区)に出て、『御影屋』という回船問屋のもとで船乗りになります。
松右衛門のあふれる才知と実力は、兵庫の船頭仲間の間でも知れ渡り、周囲からの支援も受け、自らも船持ち船頭として独立を果たします。
船乗りとして一人前になった松右衛門は、当時の船の帆の帆布が丈夫でなかったことに不満を感じ、帆布改良の研究に着手します。
やがて播州の特産である、太い木綿糸を用いて、厚く巨大な平織りの丈夫な帆布の開発に成功しました。
「松右衛門帆」と名付けられた新型帆布は、たちまち全国に普及することとなり、北前船をはじめとする大型和船の航海術は飛躍的に向上しました。
その後、松右衛門は江戸幕府からの命を受け、択捉島での埠頭建設に着手し、見事に成功を収めます。
この業績により、幕府から「工事を楽しむ」「工夫を楽しむ」とい意味の『工楽』という姓をたまわりました。
65歳のころに故郷の高砂に戻ったあとも、箱館でのドック建設、石鈴船・石救捲き上げ装置の発明、防波堤工事などを手がけ、日本の海運業において数々の功績をおさめる。
地元、高砂港の築港にも取り組み、1812年、70歳で死去したあとも、その事業は二代目、三代目松右衛門に受け継がれていくことになります。
松右衛門は自らの信念を次のように言い残しています。
人として天下の益ならん事を計らず、碌碌(ろくろく)として一生を過ごさんは禽獣(きんじゅう)にも劣るべし
※人として世の中の役立つことをせずに、ただ一生を漠然と送るのは鳥や獣に劣る
大きな志を胸に抱き、「後の世のため」に尽くした工楽松右衛門。
そんな偉人が、この小さな町、高砂から輩出されたいうのはわが町の誇りであり、我々もその遺志を受け継いでいかなければいけない。
アクセス
■工楽松衛門銅像
■住所:兵庫県高砂市高砂町東宮町190
■最寄り駅:山陽電鉄高砂駅 徒歩15分
■駐車場:あり
■拝観料:なし
■公式サイト:http://takasagojinja.takara-bune.net/
工楽松右衛門旧宅もあります!
今回は(初代)工楽松右衛門という人物にスポットをあてて、記事を作成しましたが、高砂町には、その工楽松右衛門の旧宅があり、一部修復され一般公開されています!
※現在はコロナウィルス感染症拡大防止のため臨時休業中
そちらについては、後日改めてご紹介させて頂きます。
★公式サイト:工楽松右衛門旧宅